佐伯市と豊後水道
1981年私が生まれた年に、父:柳井公二が大分県佐伯市で創業したのが今の「柳井商店」の始まりです。
瀬戸内海と太平洋の波がぶつかり合う、日本でも有数の好漁場『豊後水道』。
関あじ関さばは一大ブランドとして全国的にも有名です。
『豊後水道』に面した大分県佐伯市。
その佐伯市に古くから伝わる言葉があります。
『佐伯の殿様浦でもつ。浦の恵みは山でもつ。』
先人はこの自然の豊かさに感謝しながら、
海の恵みを最大限生かすすべを今に伝えてくれました。
その教えは今でも佐伯市に力強く根付いています。
柳井商店誕生
昭和56年、ちょうどその頃、豊後水道にいわしの大群が押し寄せ、その中に奇妙な魚が混ざっていました。
漁師さん「こんな夏の暑い時期に食い手があるか!」と長靴で一蹴。
ぞんざいな扱いを受けるその魚こそ後に柳井商店の運命を変えるとらふぐでした。
夏には長靴で一蹴されていた魚が冬になると相場が上がって数倍になる。季節によって価格が変わる妙な魚だなぁと気になり、地元で扱っている人を探すも、誰もやっていない。ここで揚がったふぐは氷で締め下関や大阪に送り高値で取引されているということが分かりました。
公二「ここでモノが揚がるのに、なぜ俺が直接ふぐを売れないんだ!?」
やがて父は柳井商店を創業しふぐを築地へ卸始めます。
売れないふぐ、立ちはだかる壁
しかし売れない。
1年たっても売り上げは伸びない。そこで加工しなければふぐは売れないと悟った父は加工技術を学ぶため下関を訪れるが門前払い。つてを頼りに築地の超有名店を何とか説得し見学を許された時間はわずか15分。
佐伯に戻り脳裏に焼き付けた動きを頼りに朝も夜もふぐをさばき続けました。
こうして、何年も体を酷使しながら技術を身に付けてきたのです。
技術革新と流通革命
ふぐの加工で一番ネックになる「皮すき」。通常は職人が10年かけ習得する技術です。
技術を持つ職人がいない佐伯市では皮すきがネックになり大量に加工することができませんでした。
その事情を知って応援してくれる知人のアドバイスを受け共同で開発したのが、世界初の「皮すき機」でした。
安定した品質と出荷量、そして一般家庭でも手の届く価格設定。インフラも整い家庭の食卓へとらふぐをお届けできるようになりました。
もう一つ家庭お届けが可能になった背景には加工技術と流通の進歩とともに、創業以来のパートナーである生産者、ふぐ養殖業・守後養殖の存在がありました。
柳井のふぐはなぜ美味い?
佐伯港から船で5分のところに、柳井商店が仕入れるふぐの養殖場があります。ふぐ養殖の中でも海面養殖と呼ばれるこの手法は、台風や赤潮の影響を受けやすく手間はかかるが天然に近い状態で育てることができるため、この方法にこだわり養殖を行っています。
実はデリケートなふぐは、育つ環境や餌で身質が変わります。ストレスにも弱く、生け簀に入れすぎると噛みあいをしてしまうほど。効率を考え他の魚と一緒に養殖する所もありますが、守後養殖では専用の生け簀で丁寧に育てています。
毎年、自分の子供のように愛情をかけ関わっているからこそ安定した品質が守られているのです。
これからの柳井商店
沢山の方々から支えられ一歩ずつ前に進んできた「柳井商店」。
今バトンを渡され色んな人の思いと共に「豊後とらふぐ」をよりたくさんの人へお届けするのが私の役割だと思っています。
豊後水道の恵みに感謝しながら
地域の資源や特性を生かし、安心・安全な食品加工・流通を目指しています。
旨味、食感、香りすべてにおいて高品質な逸品です。
是非一度ご賞味ください。
豊後水道ふぐ 柳井商店
代表 柳井太一